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福岡地方裁判所 昭和47年(行ウ)27号 判決

原告 有限会社筑紫雅廊 ほか一名

被告 国税不服審判所長

訴訟代理人 山口英尚 石橋国忠 ほか七名

主文

一  原告らの被告らに対する本件各訴はいずれも却下する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告有限会社筑紫雅廊の審査請求に対し、昭和四七年五月八日付福法四七第一、二、三号で被告国税不服審判所長のなした裁決はこれを消す。

2  原告有限会社筑紫雅廊の自昭和四二年一一月一日至昭和四三年一〇月三一日事業年度分の法人税について、被告博多税務署長が昭和四五年九年二五日なした法人税無申告加算税および重加算税の賦課決定はこれを取消す。

3  原告花田勇の審査請求に対し、昭和四七年五月八日付福所四七第一、二号で被告国税不服審判所長の存した裁決はこれを取消す。

4  原告花田勇の昭和四三年分の所得税について被告博多税務署長が昭和四五年九月二五日なした再差引所得税および無申告加算税の賦課決定はこれを取消す。

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前の答弁)

主文同旨

(本案の答弁)

1 原告らの被告らに対する各請求はいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告有限会社筑紫雅廊(以下原告会社という)は昭和四二年一月から同四三年一〇月まで肩書地において書画骨董等の売買をなす古物商を営んでいたものであり、原告花田勇(以下単に原告という)はその代表取締役である。

2  被告博多税務署長は、昭和四五年九月二五日、原告会社の自昭和四二年一一月一日至昭和四三年一〇月三一日事業年度分の法人税、ならびに、原告個入の昭和四三年分の所得税について次のとおり各賦課決定をなし、同日原告の所在不明を理由に国税通則法第一四条第一項により公示送達に付した。

(法人税)法人税     金一八、三七三、九〇〇円

無申告加算税  金   一五七、〇〇〇円

重加算税    金 五、八八一、〇〇〇円

計       金二四、四一一、九〇〇円

(所得税)再差引所得税  金二四、〇一二、一五〇円

額源泉徴収税  金二二、五〇三、四八〇円

額差引申告納税 金 一、五〇八、六〇〇円(七〇円切捨)

額無申告加算税 金   一五〇、八〇〇円

3  原告会社および原告は、昭和四六年八月一四日、税務署長に対し、右各賦課処分についてそれぞれ異議申立をしたが、原告会社の法人税については同年一一月八日、原告の所得税については同月六日に異議申立期間徒過を理由に不適法として却下されたので、次いで同年二一月八日、被告国税不服審判所長に対し審査請求をしたところ、右と同趣旨の理由により、原告会社の法人税関係について、昭和四七年五月八日付福法四七第一、二、三号をもつて、原告の所得税関係について、同日付福所四七第一、二号をもつていずれも不適法として却下された。

4  しかしながら前記各賦課処分についてなされた公示送達は違法である。

原告は、原告会社が昭和四三年一〇月に営業を廃止した後、残務の税金関係事務の処理のため、同年二月福岡市堅粕三丁目一〇-一〇白水荘二号室を事務所として借り受け、毎月数回は同所において郵便物やその他の事務の整理を行い、また、博多税務署にも一人または税理士とともに数回出頭し、同署の係官と納税額について折衝を重ね、決算書や銀行取引書類等を提出してその調査に協力し、調査結果を連絡してくれるよう依頼していたところ、同署係官は、当時右白水荘二号室には電話も備えており、原告に連絡することができ、また仮に同所に原告が不在の場合でも、原告の妻花田文子が福岡市内砥園町において古物商を営んでおり、同女に伝言または交付を依頼すれば原告に届くことを知つていたにもかかわらず、賦課決定のなされたことを知らせることなく前記公示送達をなすまで放置していた。

また、原告会社の登記簿上の所在地上の建物は立退のため取壊され、その跡地に原告の三男花田勇人が「ぼつくり屋」の商号で古物商を営んでいたが、昭和四五年九月九日、右勇人の許へ同署の係官が訪れ、課税決定通知書を原告に渡すよう依頼して交付したもので右勇人がこれを受けとつたところ、その直後、同係官が再び来て右書類を取戻し、そして前記各公示送達をなした。

右のように、原告の住居所は明らかであり交付送達や差置送達または妻子等に対する補充送達による送達は可能であり、現に被告国税不服審判所長の前記各裁決書は昭和四七年六月一四日白水荘二号室宛差置送達され原告はこれを後に受領しているのである。

よつて、原告らは被告らに対し違法な公示送達にもとづく前記各賦課決定ならびに公示送達を適法とした前記各裁決の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実1、2、3は認め、同4の公示送達の違法性は争う。

三  被告らの主張

1  行政事件訴訟法第八条一項、国税通則法第一一五条一項本文により、国税に関する法律にもとづく処分の取消の訴は不服申立を経た後でなければ提起できないところ、本件各訴は適法な不服申立を経た後でなければ提起できないところ、本件各訴は適法な不服申立を経ずになされたものであるからいずれも却下されるべきである。

すなわち、国税通則法第七七条第一項によると、異議申立は、処分にかかる通知書を受けた日の翌日から起算して二ケ月以内にしなければならないところ、本件処分にかかる決定通知書は同法第一四条三項の規定により掲示を始めた昭和四五年九月二五日から起算して七日を経過した同年一〇月二日に原告会社ならびに原告に送達されたものとみなされるので、異議申立のできる期限は同年一二月二日までであるにもかかわらず、各異議申立がなされたのは、原告会社および原告が自ら認めるとおり、右期間経過後の昭和四六年八月一四日であるから、右異議申立は不適法である。

2  公示送達の適法性

国税に関する法律の規定にもとづいて税務署長等が発する書類は、郵便による送達または交付送達を原則とし(国税通則法第一二条一項本文)、例外的な差置送達、補充送達の他、送達を受けるべき者の住居所が明らかでない場合公示送達によることが認められているところ(同法第一四条一項)、原告会社はその登記簿上の住所には存在せず、その代表者である原告の住居所は不明で、かつ、相当程度調査を遂げてもなおその住居所が判明しなかつたのであるから、本件公示送達は適法である。

すなわち、被告博多税務署長は同署調査官をして原告会社ならびに原告の納税額について調査に着手したが、原告会社はその登記簿上の住所には存在せず、原告も所在不明であつたため、原告の住民登録上の届出住所ならびに原告の妻花田文子方を各臨戸したが、いずれにも原告は居住しておらず、その家族らは原告の所在を明かそうとしなかつたので、さらに、原告会社の取締役として登記されている訴外持田竹太郎等からも事情を聴取したが、同じく原告の所在を知ることができなかつた。

その後昭和四四年一一月一〇日、原告が博多税務署に出頭し、以来数回にわたり折衝し、その際原告は住所を福岡市堅粕三丁目一〇-一〇白水荘二号室と申告したが、同室は常時施錠してあり原告が居住している気配はなく、また、原告の依頼を受けた訴外増田儀一税理士も原告との直接の連絡方法を有していなかつた。

右のような状況で、被告博多税務署長は昭和四五年九月に至り原告会社ならびに原告に対する各賦課決定をしたが、同月七日、右決定通知書を送達するため係官をして、原告自ら申し立てた前記白水荘二号室に出向かせたところ、同室は施錠したままで、隣室の住人に問い合わせた結果からも、到底原告の住居所と目することができなかつたので、さらに、前記花田文子宅、原告の三男花田勇人宅、ならびに同四男花田潤也宅を各臨戸するも、原告は居住しておらず、家人らは原告の所在を明かそうとしないばかりか、原告との連絡要請さえ拒否した。そこで同係官は同月九日決定通知書を前記白水荘二号室宛配達証明郵便により発送したが同月二四日に返戻されてきたので、再度確認のため白水荘二号室を臨戸した上、翌二五日公示送達に付した。

右のような次第で、原告はあえてその所在を不明にしたものというべきであり前記公示送達は適法である。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因事実123はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで訴の適否について判断する前提としてまづ本件公示送達の適法性について判断する。

〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

博多税務署は、原告会社が福岡市から土地区画整理に伴う立退移転料名下に約六〇〇〇万円の交付を受けたことを知つたが、原告会社から納税申告がなされていなかつたので、昭和四六年六月ころ、同署馬場上席調査官、同高口調査官をしてその調査にあたらせた。

右調査官は早速原告会社代表者である原告に面接するためその登記簿上の住所地に赴いたが、原告会社は同所に存在せず、原告の存在が不明であつたので、原告の妻花田文子の経営にかかる市内砥園町の古物店筑紫ならびに原告の住民登録上の住所市内今泉二丁目二の二七を各尋ねたところ、いずれにも原告は居住しておらず、右文子は原告の所在について、同人から一方的に連絡してくるだけでその所在を言わないのでわからない旨申立て、右今泉には原告の長男花田実夫婦が居住していたがここでも原告の所在を聞き出すことができなかつた。そこで、さらに原告会社の取締役として登記されている訴外持田竹太郎、同中村光雄、同坂口喜生らに対し、電話もしくは出頭を待ち事情聴取したところ、同人らはいずれも名義を貸しただけで出資もしておらず、持田、申村両名は原告とほとんど面識もない状態で、坂口も原告の所在を知らなかつた。

同年一一月一〇日、原告が一方的な事前連絡のもとに博多税務署に出頭してきたので、以来数回にわたり同署において面接の上調査を続けたが、原告は同署調査官から、領収証の架空作成にもとづく支出を指摘されるなど原告の主張が入れられなかつた。右調査のはじめ原告は住所として市内博多区堅粕三丁目一〇の一〇白水荘二号と申告していたところ、翌年三月一四日を最後に同署に出頭しなくなつたので、調査官は調査続行の必要から右白水荘二号室を尋ねたが同室は施錠したままで、原告に面接できないばかりか連絡さえできない状態が続き、原告が依頼していた訴外増田税理士さえ原告との直接の連絡方法を有していないことがわかつた。

被告博多税務署長は昭和四五年九月ごろ、原告会社ならびに原告に対する各課税額を決定したので、右決定通知書の送達事務に取りかかり、同月七日馬場上席調査官が原告個人への、荒木調査官が原告会社への各決定通知書を持参し、増田税理士を同道させて、前記白水荘二号室に赴いたところ、同室には表札もなく施錠したままであつたので、同荘の他の住人や同荘所有者を各臨戸して尋ねたがいずれもほとんど原告と面識がなく、また同荘管理人である都不動産に尋ねたところ、原告は毎月家賃を持参してくるが、白水荘以外の住いを尋ねても答えず、家賃を持つてくるときの服装からして市内に居住しているようである、との返事であり、同室を住所と認め差置送達することに躊躇し、次いで前記祇園町の花田文子方、祇園町一一-二七(右文子宅の隣)の原告の三男花田勇人経営の銭屋物産を各臨戸したがいずれも不在であつた。そこで、さらに原告が昭和四四年度の所得申告書に住所として記載していた博多区住吉三丁目一四の一で、原告の二男花田禎人、同四男潤也がヨージ商店を経営していたので、同所に行き右潤也と面接したところ、原告が居住している確証は得らず、また右潤也も通知書の受領を拒んだが、右のような経緯で、また原告自ら所得申告書に記載していた住所地でもあつたので、一応同所を原告の住居所と判定し、原告個人の所得税関係書類のみ送達した。しかし、調査官らは上司とも相談した結果、右ヨージ商店を原告の住居所と判定するには疑問があり、潤也の前記態度から考えても右送達は適当でないとの結論に達したので、翌八日ヨージ商店から同所に送達した書類を取り戻し、再び白水荘二号室宛郵送したが、同月二四日、郵便局から「九月十日配達の際、不在のため、さらに出局通知をしたが期限までに出局がないので還付する」との付箋つきで返戻されてきたので、調査官らは再度白水荘に原告が居住していないことを確認して、同月二五日、各決定通知書を公示送達に付した(公示送達に付したことは当事者間に争いがない)。

以上の事実が認められ右認定に反する〈証拠省略〉、他にこれを左右するに足る証拠はない。

以上の事実によると、原告の住居所は明らかでなく、また原告の家族らに対する送達もできない状態にあつたものと認められるので本件昭和四五年九月二五日の公示送達は適法であるというべきである。

三  原告が各賦課決定に対し異議申立をしたのは国税通則法第七七条第一項の法定期間を経過した昭和四六年八月一四日であつたことは原告自ら認めるところであるから、右申立期間の経過により原処分はいずれも確定したものというべきであつて、もはや、原告らは本件原処分ならびに裁決の取消を訴求する法律上の利益を有しないと認めるべきである。

四  よつて、原告らの被告らに対する本件各訴はいずれもこれを却下し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高石博良 足立昭二 郷俊介)

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